おっさん 『だってセンチメンタル SAGA』を語る Bパート
純子と愛の死因が明らかになる衝撃のBパート。
どっちも当時は予想できなかったなぁ……。
という訳で覚悟して見ていきましょう。
第6話 Bパート アイキャッチ
さが錦
ゾンサガコラボもしてくれた佐賀銘菓。
実はゾンサガ版さが錦は一度も入手できなかったんです…パッケ絵めっちゃかわいかったのに…。
というかゾンサガのコラボ衣装は全部秀逸だと思いません?
でもいいんです。そのうち通常バージョンで堪能しますから。
大切なのは佐賀を盛り上げる行動なんです。
むしろコラボ終わった後に、どれだけリピータが残るかが大切なんですよ!(悔しまぎれ)
関係ないですけど、ゆうぎりにとって現代のお菓子ってどう感じるんですかね?
明治以降に入ってきた食品ってものすごく多いから、その辺のカルチャーギャップのシーンも見てみたい。
シーン4 紺野純子 その死
後半は愛が自分の記事をこっそり見ていた回想シーンからスタートします。
いやぁ、冷静に考えてけっこうエグいですよね。
自分の死亡記事を自分で読むなんて、ゾンビィ以外には不可能ですから。
15:18 愛「私はまだ過去になんか…」
愛のフランシュシュ活動の原動力の一つに、過去にされてたまるか、という叛逆心があります。
もちろん単純にアイドル活動が好きだというのもあるでしょうが、それだけで動けるほど愛は浅くないはずです。
私の実力と努力が本物なら、もう一度同じ場所に立てるはずだ。そう思って再び挑戦を覚悟してるんだろうなぁ、と思いますね。
ただ、この時の愛の心の中には、まだアイアンフリル不動のセンターというプライドが残ってるような気がします。
一応フランシュシュとしては活動してるんですけど、まだ100%フランシュシュに入りきれてない感じ。
だからこそ、他のメンバーにもキツく当たってるんだと思います。
ちなみにネット検索の死亡記事に関しては、別視点の考察もしてみたのでそちらも読んでみてくださいw
ええ、もちろん書いたら長くなりすぎて独立させたいつものパターンでございますよ?w
ゆうぎり「互いが正論を振りかざすことで生まれる争いもありますやろ」
もうね、このセリフをゆうぎりが言うのが重すぎるw
彼女が生きた維新時代は戊辰戦争、そして西南戦争がありました。
どちらが善でどちらかが悪、なんて単純なものではなく、互いに理想を持って互いの理想に殉じた戦争です。
それが純子と愛に重なって見えたのでしょう。
昭和空間へようこそ
このシーンを見た瞬間に笑えた人は確実におっさんですw
そしてこの女性が持っているのが250ml缶というのが細かいw
きっとプルトップ式↓なんでしょうなぁw
純子にステイオンタブのジュースを渡して混乱させたい。
帽子で顔を隠してるさくらがかわいい。
でもこの特殊メイク、海に落ちただけで取れたり、足湯に浸かっても落ちなかったりと、けっこうご都合主義だけど気にしないw
そして唐突に始まる無駄検証!!
さくら「お茶の間のブラウンさん?」(17:24)
こう言ってますけど、実は2008年時点での液晶テレビの普及率は34.2%とそこまで多くはないです。1年前の2007年だとなんと19.3%。
一般家庭のほとんどはブラウン管TVだったのです。
そもそも液晶テレビが発売され始めたのも2000年以降なので、少なくともさくらが幼女の頃は間違いなくブラウン管テレビだったでしょうね。
2000年に発売されたデジタルハイビジョン対応のTVですらブラウン管方式なんですよ。
もっとも「見たことがある」と「名前を知ってる」というのは別問題なので、さくらも実物を見れば「あ~これっちゃね!」と言うでしょう。
ところがどっこい見逃さない
おっさんの魔の手がロリさくらに迫る
第11話でさくらの回想シーン
「小学校3年生の学芸会~」
というセリフがあります。
さくらが小学校3年生の時は2001年。
はい、後ろに見えるの、たぶん液晶TVですよね?w
もちろん、絶対におかしいとは断言できません。
なぜならSHARPが液晶テレビ初代AQUOSを発売したのが2000年だからです。ただ、その時の最大モデルですら20インチでした。
さすがに詳しくは覚えてませんが、プラズマ液晶だったらそのサイズでもあったような…?しかし50万円以上するようなものだったはず。
まあ、どちらにしろよっぽどの裕福な家でない限りは、プラズマ液晶TVが置いてあるなんて事はなかったと思います。
ですから、そこはブラウン管テレビにしておいた方が、リアリティあったんじゃないかな?というおっさんのナンクセでございました。はい、完全にただの難癖ですw
でもこんな検証も可能です。
2008年16歳のやさぐれさくらの時のシーンです。
これ、小学校の時の絵と比べても棚の位置などからして、ロリさくらはこのTVの前で練習していた事が分かりますね。
要はこの時の資料そのまま使って描いちゃったから変なおっさんに絡まれる事になっちゃったんですw
実際、2000年前後10年くらいってテレビ関係はけっこう激動の時代でしたからね。ハイビジョン放送が始まったり、デジタル放送が始まったり、液晶が出たり。
なので改めて言っておきますが、一概に間違ってるとは言えませんからね?w
さくらパパはそれなりにお金持ちで、家の家電は常に最新式にしておかないと気が済まないタイプだったんですよ!そういう事です!w
ただ、お茶の間という言い方は確かに90年代にリビングという言い方に切り替わった印象があります。
もともとお茶の間とは日本住宅の特徴で、食事をするところとくつろぐ場所が同じで、食事のテーブルの部屋にTVがあるのが一般的でした。英語で言うとリビングダイニング。
居間=リビング
ちゃぶだい部屋=ダイニング
台所=キッチン
って感じでしょうね。要はLDKってやつです。
ちなみにさくらの家は後ろを見る限り対面キッチンと思われます。
ただ、家の外観と2階の年代観(90年代っぽい)と、対面キッチンのミスマッチ感が否めません。 断定はできませんが、90年代もかなり後半にならないと対面キッチンはなかったかな?
さくら3年(2001年)の段階でどうやら現在の内装になっているようなので、恐らく家はさくらが生まれる前か、生まれた時に立てて、その後にリフォームしたと考えるべきでしょう。
まあ、さくらのパパンは常に最新式にしたがる性格だから仕方ないね!(私が勝手に決めた設定)
恐らく娘が生まれて家族で過ごす時間を増やすためにリフォームしたと思うと、ご両親の気持ちに涙が……。
一瞬、雪音クリスに見えたとか、プロデューサー巻きは90年代以降の流行だとか、細かい事を気にしてはいけない。(今さら)
どうでもいいけど、映像が単なるハメコミ合成じゃなくて、ちゃんとブラウン管の縁に沿って四方が歪んでいるのが超細かくてステキ。ここの効果担当の人、いい仕事してますね!
それはともかく、ここの純子のセリフです。
純子「ようやく自分の力を実感でき始めた……これからだ、ってそう思った矢先だったんです。」
さて、これからってどれから?w
少なくともブラウン管の中の彼女を見ている限り、
・歌番組に出ている
・プロデューサーに邪険にされてない
・移動中に台本(?)を読んでいるくらいに忙しい
というくらいには売れっ子だったようだね。
レコードもバンバンだして大ヒットを飛ばしまくってたに違いありませんw(日本初のCDは1982年10月1日だったので、83年没の純子の歌はCDで発売されていた可能性も高いです。ただ当時生産本数は少なかったので、残っていたとしても激レア。)
というか、そのくらいの有名人でなければ飛行機事故で伝説にはなりません。
つまり、けっこう人気絶頂状態だったと思うのです。
その状態で「ようやく」と言ってる純子は、かなり慎重な性格というか、控えめな性格なのでしょう。普通のアイドルだったら、それはそれはもう天狗になりまくってたかとw
そしてちょっと頑固なのに、すごい所で行動力のある大胆な性格。
これが純子の性格だと言えます。
実際、控えめっぽいのに温泉入りたがって巽の言いつけを破るくらいの大胆さはありましたしw
そして……
いやぁ、初見時はマジでビビった。
それと当時に彼女の体の意味を悟って戦慄した。それを第4話で先に見せてる脚本の巧みさと、一番かわいい子に一番惨い死に方をさせる設定に。
深くは語りません。別で語ってるし。
ただ、墜落の瞬間までの純子が何を思って何をしたか、それを想像するだけで何とも言えない気持ちになるなぁ。
実際、初期の脚本案ではその時の様子を書こうとして、生々しすぎるから却下になったと聞きました。それで正解だと思います…。 実はこのシーンのすごく好きな二次創作があるんですよねぇ
この時点で純子の死因を知っているのはさくらだけです。
あと、この時はまだ「源さん」呼び。これが後で「さくらさん」に変わるのが上手いなぁと思いましたw
シーン5 水野愛 その死
夕方くらいの純子のシーンから少し時間が経って、こちらは雨の夜。
純子のシーンもあまり天気は良くない空の描写ですね。
この一連のシーンのサキちゃん、ほんっっと好き。かっこよすぎる。
あと、このシーンの後ろにちゃんとアイアンフリルのロゴが登場してるんですよねw
このシーン、衝撃的すぎて愛にばかり目がいきますが、観客をよ~~く見ると、手前と奥、それぞれ手書きの7人のパターンの配列の左右反転だけで表現されていますw
いやぁ、それでも違和感が無いから、最小限の工数で最大限の効果を出してるプロの技ですね。
いまわのきわ
愛の死に草生やすなや、と怒られそうなのでこちらも考察的な事を。
死の間際の事ですが、意識が消える速さでいえば愛が最速。その次がさくら。そしてリリィかな?
サキと純子(とゆうぎり?)は死を自覚・覚悟する時間があります。
純子は言うに及ばず、サキは第2話ラップで「ハンドル握って死んだ」と自分で言ってますからねぇ。
二人とも「あ、これ死ぬな」なり復活した後に「あ~あれが原因で死んだのか」と自覚する事は可能でした。
ゆうぎりは囚われて斬首なら十分自覚してるでしょうし、突然斬られても脳が酸欠で停止するまでに少しだけ時間があるので、どちらにしろ自覚はあると思います。
リリィはヒゲェ!!のショックで意識が遠のいた事は覚えているかなぁ?wで復活した時に(え~、あのまま死んだの…?)と思っているかもしれないねw
もちろん過労が祟っていたとは言え、本人もそれで死ぬとは思ってなかったでしょうしw
そしてさくらは単純に生前の記憶を失ってるので比較はしにくいですが、少なくとも「軽トラに跳ねられた」という記憶だけは残っているはず。
それに比べて愛の死は速すぎる。
落雷の時速は1秒で150~200km。
その速さで数億ボルト・数万アンペアの電気が直撃したのだから、瞬時に脳が機能停止、体細胞だってほぼ死滅でしょう。
だから愛の記憶には何も残っていないでしょう。
ステージの中央でポーズをとった記憶までしかなく、復活後に記憶のないさくら以上に混乱したのは、愛かもしれませんなぁ。
ちなみに作中で明言はされてないけど、恐らく鳥栖スタジアム(現:駅前不動産スタジアム)がライブ会場だと思われます。
ただ、実はサッカー会場での落雷・死者は少なくないんですよね。
だから会場ど真ん中で、客席より少し高い所にいた愛に落雷する可能性は無くはなかった。
しかも死亡率7割(世界平均3割)という落雷事故で、直撃即死となると、やっぱり愛ちゃんも「持っとらん人」だったんだなぁ、と思う。
だからこそ
このシーンの段階では愛は死因は知らないんですよね。
でもそこから疑問を持って調べ始めるのが愛のすごいところだと思います。
そしてネット記事で初めて自分の死因を知った、と。
愛「まだ何も終わってない。私はここにいる。過去なんかじゃない。ゾンビでも何でも、もう一度あのステージに立ってそこからまた…」(20:07)
このセリフも、愛からすればあの日のステージがまだ終わってない、という感覚が残っているのかもしれないねぇ。
第2話で「ゾンビなのは分かった。でもアイドルをやる理由は分からない」と言ってた愛だけど、一番死を受け入れられてないのは、実は愛なんじゃないかと思ったり。
失敗や後悔をダメな事とは思わない水野愛でも、天災という事故だけはどうしようもない。だからこそ割り切れないのかも。
シーン6 屋敷のベランダ ~ 巽の報告
このシーンのさくらとサキの会話がものすごく好き。いっぱいちゅき。
特にさくらの「絶対ダメ」の言い方が最高。本渡楓さんは天才じゃなかろか、と思った瞬間w ほんと、息を張らない演技が秀逸だわぁ。
そしてこのシーン、ちょっと特徴的。
まず、いつも脚を組んでるゆうぎりが、珍しく足を揃えてる。これは純愛のケンカや昨日の仕事放棄の件で、一応彼女なりに神妙にしてる現れなんでしょうw
そしてだいたいモデル座りの純子が女の子座りしてる。これは彼女のプロ意識の低下を表してるんじゃ?
もうプロのアイドルとしてフランシュシュにいられない、居たくないと思った彼女が普通の女の子に戻ってる意識が無意識に出たもの。
そしていつも通りの愛は、自分は間違ってないと思ってるw
(どうすっかなぁ…)と考えているサキ。
そしてロメロとたえちゃんが同じポーズをしているw
そして純子の死因と気持ちを知っているさくら、愛の死因とトラウマを知っているサキがそれぞれ気遣うシーン。尊い。
ただ、昨日の夜のベランダで、さくらとサキが情報共有していれば、もう少し違ったかもしれない。
でも、簡単に秘密を話したりしないさくらとサキもまた、素晴らしい。
こうしてフランシュシュがさらにアイドルとして結束力を高めていく次回に続く。
次回予告
純子です。
みんなの迷惑になるのなら、私はいっそこのまま……キノコになります。
次回 ゾンビランドサガ
第7話 「けれどゾンビメンタル SAGA」
私はこれで……。
いやもうね……
誰が本当にキノコになると予想出来るか?
次回予告を初めて聞いた時に「キノコって何のギャグだよwww」と思って、第7話見て「ホントにキノコになっとる……」なんて衝撃の受け方、普通のアニメでしねーよw
それよりも昭和のブームになったCMの方がひっかかりました
「私はこれで…」
ちなみに純子的には「私はこれで…フランシュシュを辞めました」って続くつもりだったんだろうねぇ。
だからネタとしても、リアルとしてもちゃんと機能するすごい一言だと思います。
ただし、このCMは1984年なので純子は知らないはずw
という訳で前半最高潮の第7話へ続く。