第8話『佐賀事変 其ノ壱』を語る アバン
ついに始まってしまいました。佐賀事変。
過去の自分との予想の真っ向勝負な訳ですが、相変わらずの斜め上っぷりには翻弄されますw
まず全体的な話で言うとよく21分明治オンリーでやったな?!って部分に感心。
てっきり現代のゆうぎりの回想とフランシュシュの反応を少しは混ぜると思ったら、そんなの一切無し。サキレベルの男前度。
しかしゾンサガ第2期第8話までついてくるようなゾンビィ達なら余裕で受け止めてくれるだろうという信頼。
そして21分余裕で楽しめた内容の濃さ。
いつもは「もうAパート終わり?!」って感覚だったのが、今回は「…うぉぅ!もう21分終わったのかと思った!」って感覚になりました。そのくらいのめり込めてる。
今回は考察よりも解説が多いかも?
とは言え私は民俗学やら風俗学の門外漢なので、素人が知ってる限りの範囲でしか話せませんが、行ってみましょう!
追記:書いてみたらアバンだけで1本分くらいの分量になっちゃったんで、初のアバン単体UPとなりましたw
ここは基礎知識編だと思って読んでください。
アバン
いつものさくらの早口は無し。
ゆうぎりの没年は明治15年12月28日(木)です。
10月としてゆうぎりの死まであと約440日。
1年2か月ほどといったところでしょうか?
遊郭の主人「日比谷の旦那の故郷だ。故郷の奥方様はとうに身罷られておるそうだし気兼ねないご家中だ。」
ん~、どの辺から説明したらいいのかな?
みんな花魁・遊郭についてはある程度は知ってると思うから軽く程度に触れますね。専門家の来襲が怖いしぃw
身罷(みまか)るとは死ぬという意味。
『罷る』自体は、行くとか出向くって意味なので、体が黄泉国(よみのくに)に出向くという表現。謙譲語なので偉い人に使う言葉。
んで、何が気兼ねなのかって言うと、この当時のお偉いさんは妾(めかけ)・愛人当たり前の時代(当時の倫理観としては普通の事)なのではあるのですが、なんだかんだ言って正妻のいじめが酷かったり、他の家族からは無視されたりと、あまり幸せにはなれなかったり。
なので『男やもめ』の身請け先は気が楽だ、という意味。
…男やもめも普通は使わない言葉ですねw
本来は女やもめもあるんですが、一般的には未亡人という単語を使います。個人的にはあまり好きな単語ではないんですが…
んで、まず大切なワードが日比谷の旦那。
これに関しては架空の人物でしょう。
恐らくモデルは2人いて…
一人は教科書でもごぞんじ、佐賀藩士にして総理大臣まで上り詰めた大隈重信(おおくま しげのぶ)
もう一人は榊原政岑(さかきばら まさみね)。こちらは後で説明します。
日比谷は今でもそうですが政府機関がぎゅうぎゅう詰めでした。
今でいう有楽町のあたりに大隈重信のお屋敷があったり。
そして明治14年10月12日つまり秋に、大隈重信は政変により辞任・下野(げや)するので、タイミング的にも佐賀事変世界で佐賀に戻るいいきっかけになったのかと。実際の大隈は戻ってないし、死んでませんがw
というか、そのレベルの人じゃなきゃゆうぎりの身請なんて不可能です。
女将「年の功もあるしね」
ちなみに明治14年は大隈43歳なので、やっぱりあくまでも架空の人物ですよ?w
ただね…この当時から、40は初老なんですよ…
だってこの当時なら孫がいてもおかしくない時代ですし…
はい、こちらの童女3人組は禿といいます。
…だ、だだ、誰がハゲやねん!!
違います。『かむろ』と読むのです。まあ、字は全く一緒ですけどね!
本来はおかっぱ髪の児童を指してたんですけど、近代では遊郭に売られてきた童女や遊女が出産した子どもを指す言葉になってます。
まあ、おかっぱ頭→髪が少ない→禿って呼ばれてたんだから、結局は髪が少ない=禿じゃねーか!
そして少女くらいの年齢になると新造(しんぞう)と呼ばれ、18歳から遊女・花魁として正式に客を取るようになります。
…そっか!おっさんこれから自分の事かむろって言えば、なんかかわいいじゃん!(キモい)
ちなみに遊女としては18歳から10年働くってのが基本なんですが…
あれ? ゆうぎり19歳で死んでね?しかも誕生日11月じゃね?
と思ったあなた。
あの当時は数え年なので、実際には16~7歳だったりします。
しっかり計算すると明治14年10月のゆうぎりは、今の年齢カウントだったら17歳。
数え年だと19歳になります。
恐らくですが、花魁になって1年くらい働いたんでしょうね。
…なんだろう、全員苗字2文字に名前がひらがな3文字と、見事に揃えられているのが、まさにあの3人の禿っぽくてステキです。意図してなのかなぁ?w
さて禿の一人が言っていた身請(みうけ)とは…
客がお金を出して遊女の借金を全て払って、遊郭から解放してあげる事です。
その元遊女をどうしようがそれは金を出した客の自由です。
もちろん奥さんにする人もいたでしょうし、愛人もいたでしょう。中には養子縁組だったり。
まあ、ただの人身売買っちゃ人身売買なんですけど、そんなこと言ったらそもそも禿だって親に売られた子がほとんどだからなぁ…
で、それがアホほど高い。
なんせ
・その時点でのその遊女の借金総額
・数え28歳までに稼ぐと予想される総額
・その遊女の馴染み客との手切れ金×人数分
・女衒関係者全てへのご祝儀
などなどを全部一括で払わないといけない。
記録では花魁の身請けに数千万円。
伝説級になると数億円ってのもあるようですね。当然ゆうぎりは億コース確定。
つまり身請はそうそう成立しないのです。
一つ胸糞話をしますと、花魁の衣装や化粧などの身支度は自腹借金なので、低ランク花魁は働くほど借金総額が増えるシステムでした。
さて、ここで先ほど名前だけ出した榊原政岑(さかきばら まさみね)さんの説明をしましょう。
彼はれっきとした姫路藩の大名でありながら、吉原の超高級花魁を約4億円で身請して江戸が湧いたというのがモデル理由の1つ。
そしてもう1つの理由は、彼は身請をしてすぐに転勤させられて、たった2年後に病死(なんと31歳)
とは言え、当時はどんなに健康そうに見えても、疫病にかかって数週間でコロリ…なんて珍しくもなかったんですけどね。
だからゆうぎりの場合も、ストーリーのために都合よく殺されたってほどでもないんです。
余談ですが、身請された側の遊女は60歳くらいまで生きたそうですw
なので私は日比谷の旦那のモデルを
(大隈+榊原)/2×1.5
と考えます。
ちなみに後ほどその150%の理由を書きますね。
さて、もう一つ設定的に気になる部分があります。
ゆうぎり「島原に居た頃のお得意さんでありんした」
と言ってます。
京都島原は江戸吉原に匹敵する遊郭街です。
つまり吉原にもいたし、島原にもいた、という当たり前の事実ですね。
…先ほどの段階でゆうぎりは17歳でしたよね?
さすがにいくら何でも島原から吉原に引っ越して即日花魁とはならないでしょう。
というか、そもそも一度入ってしまったら、借金返すまでは街の門すら出られないのが女衒。引っ越しなど不可能なのです。
遊郭は廓(くるわ)とも呼ばれ、柵や堀で物理的にも隔絶された場所でした。
という事は吉原の遊郭の主人がゆうぎりを身請したとしか考えられない。
先ほど話した通り、禿から新造になるわけですが、ごく一部の超美人とかは新造時代にも客を取れたらしいですが、それでも借金を完済できるほど稼げるとは思えません。
ちなみにゆうぎりの出生は不明ですが、親から売られたか、女衒で生まれたかの二択だと思います。シャバで借金が返せなくなって自分から来る人もいたようですが、ゆうぎりはそんな年齢でもないし。
ちなみに親に売られた場合はだいたい100万程度の借金からスタートするそうです。
というか、もし完済したとしても自由になったゆうぎりが再び東京に行って遊郭に身を投じる意味が分からないw
もしかしたら生まれた時から女衒にいて、それ以外の生き方を知らなかった、という可能性もありますが…
記録には禿・新造の身請もあったそうですし、その場合はもっと安く済むらしいので、もしかしたら1000万以下で身請出来たのかも…?
まあ、その結果が全く金を稼げない伝説の花魁になってしまったんですが、少なくとも店の知名度は東京に鳴り響いたでしょうから、広告代としては破格…なのかな?w
即日花魁というわけにはいかないというのは先ほども話しましたが、それは教育面も考慮しての事。江戸の流儀とかも教えないといけませんからね。
どう考えてもゆうぎりの新造時代恐らく13~15歳くらいに身請されたと考えるのが妥当でしょう。
ただ過去の考察にもあるように、壬生浪士組(新選組)が存在したのは明治2年(1869)までですから、ゆうぎり6歳以下なんですよね。
あの3人の禿のように、お店に来ていた新選組の面々をこっそり覗いてオトナの勉強をしてたんでしょうかねぇw
OP
あ、これはあるんだw
てっきりOPもカットするもんだと思ってました。
と、ここまで書いてあまりの文字数の多さに絶句。
次回から本当にAパートの考察に入ります!w